nobody is evil.

漂うままに。

民主主義の精度〜マイノリティがマジョリティになる時〜

真夜中に食べるカルボナーラは昼間の3倍はおいしい。

 

どうも。

 

現在読み進めている本

『「多様な意見」はなぜ正しいのか〜衆愚が集合地に変わるとき〜』

p400越えの超大作!!

 

を読んでみて...

様々なことに応用が効きそうですが、

 

これは選挙が当てはまるんじゃないか

と直感しました。

 

日本のリーダーを決める選挙、私たちは民主主義に則って

"最大多数の最大幸福”を信じて1票を投じます。

 

そして現在の選挙は投票率の低さという問題を抱えており、

 

「リーダーを信用できない」

「どうせ誰に投票しても一緒」

「自分の意見なんて反映されない」

 

などなどの意見から問題が生じていると考えられます。

 

 

しかし今回本を読んでみて投票者自身がー自分自身も含めてー選挙の本質を理解していないのではないかと感じ始めました。私もこの本を読む前は1人の投票権を持つものとして愚かにも上記の考え方をしていました。

 

本書のざっくりした内容は、

 

多様性は一様性に勝り、多様な意見を持つ組織や集団は能力がある他の組織や集団より優れた成果を出すことができる

 

といったものでした。それは言い換えると

 

問題解決の観点やヒューリスティックが多様であることでより高度で難しい問題に対して力を発揮できるということです。

 

これは選挙にも言えることです。

 

選挙は時代によって導かれるべき方向が違います。現在はマイノリティが導く時代かもしれません。しかし仮にマイノリティだったとしても時代によってはその意見・価値観が民衆に波及し、マジョリティとしての効力を持つ可能性があるからです。その意味で多様性は冗長性を担保してくれるものとして私たち人類を良い方向に導いてくれる可能性を十分に秘めています。存在を消してはいけません(淘汰されてはいけません)。性的マイノリティは人類にとって何かしら必要だったからみんなが認めて、淘汰されず彼ら/彼女らの価値観は波及しています。最終的には人類が抱えるより高度で大きな問題に対して解決策を見出します。

 

それは生物多様性も同じことです。最近ではモウドクフキヤガエルの記事を目にしました。彼らは研究対象としてーなんの研究かはわからないー扱われていますが、絶滅危惧種(今回の言い方だとマイノリティ)だそうです。いなくなってしまっては、人類にとって何かしらのー有益かもしれないー手段が途絶えてしまいます。それは平和をもたらす医療かもしれないし、もしかすると人類史上の最悪の兵器かもしれません。

 

 

近年、日本企業の幾つかでは就職活動の際にダイバーシティ(多様性)を企業の魅力としてPRする様子が見られます。どうして多様性が必要なのか、今回の話では、どうして選挙でマイノリティの投票も必要であるのか、少しは整理できたことを願っています。

出来レースとわかっていてもみんなの意見を顕在化させることで私たちを適切な方向へ導いてくれる、それが選挙であり政治ではないでしょうか?

 これからの世の中は特に先が見えない世の中です。

「どうせ叶わない」ではなく、自分の意見や価値観は目に見える形でどこにあるのか、もっと客観視して選挙を捉えることが必要だと感じます。

 

 

みんな違ってみんな良い

忘れちゃいけません。

 

おやすみなさいます。

 

Shun.